第14章 医薬品情報学(DI)の定義と作業フロー

医薬品情報学(DI)の定義と作業フロー 医薬品情報学(Drug Information, DI)は、医薬品に関するデータや情報を収集・評価し、患者の薬物療法に役立てる学問領域である。典型的な作業プロセスとして、情報の探索(収集)→評価→統合→伝達→意思決定 が挙げられる(例えば「患者や医療の問題点を識別し、種々の情報源を利用して情報を収集する。集めた情報を評価し、統合し…問題解決をはかる」[1])。具体的には、治験や市販後調査のデータから有効性・安全性情報を評価し、添付文書やレジメンの形で統合・提供する。これら一連のプロセスは「医薬品情報の創出・収集・評価・加工・提供・活用」と表現されてきた[2]。近年は電子カルテや情報共有システムによる情報流通も進展しており、医薬品情報学の範囲にはシステム上の情報フローの最適化も含まれるようになっている。 医薬品情報学の作業ステップ例 探索(情報収集):文献、データベース、レジストリ等から必要な医薬品情報を検索する。 評価:取得したデータの信頼性や妥当性を査読・評価する(バイアスやエビデンス水準の判定)。 統合:複数情報を解釈・統合し、患者背景に応じた知見(作用機序の説明、相互作用情報など)にまとめる。 伝達:医療チームや患者に分かりやすく情報を報告・アドバイスする。 意思決定:統合情報を基に最適な薬物療法を選択し、処方・投薬を行う。 これらの活動を効率的・科学的に行うための新技術や考え方を研究・教育するのが医薬品情報学であり、医療現場で薬剤師が担うべき専門性となっている[2][1]。 バイオメディカルインフォマティクス(BMI)の定義 バイオメディカルインフォマティクス(BMI)は、医学・生命科学領域における情報の科学的取扱いを扱う学際分野である。Bernstamらは、インフォマティクスを「情報の科学(情報はデータ+意味)」と定義し、「バイオメディカルインフォマティクスは、生物医学の文脈で情報を適用・研究する科学」であると述べている[3]。すなわち、BMIは単なるコンピュータ応用ではなく、臨床・分子・公衆衛生の各領域における情報の意味づけ・表現・運用・評価を統合的に扱う。具体例としては、電子カルテのデータベース化による診療支援、診療ガイドラインの標準化、ゲノム・オミクス情報を活用した個別化医療などが挙げられる。BMIは臨床情報学、公衆衛生情報学、バイオインフォマティクスなどを包含する広範な領域であり、薬学情報学もその一部と見なされる[4]。 バイオインフォマティクスの位置づけ バイオインフォマティクスは、生命科学データ(配列、構造、プロテオミクス、遺伝子発現、経路情報など)に対し、計算機科学や統計学の手法で解析・解釈を行う学際領域である。たとえば、Bayatは「バイオインフォマティクスとは、生命科学のデータを計算ツールと解析でとらえ解釈する学際的分野」であると定義している[5]。ゲノム配列解析や多層オミクス解析を通じて、疾患の病態解明や遺伝的個体差の理解、新規治療標的の発見などに貢献する。特にヒトゲノムプロジェクト以降、大規模シーケンシングデータの解析によって「ヒトゲノムの機能理解や新規薬剤標的発見、個別化治療」が加速されてきた[6]。Xiaらも、「バイオインフォマティクス解析は薬剤ターゲットの同定や候補化合物の選定を加速し、副作用の解析や耐性予測も促進する」と述べており[7]、バイオインフォマティクスは創薬・薬物療法における分子レベルでの機序説明に欠かせない。 ケモインフォマティクスの位置づけ ケモインフォマティクス(Cheminformatics)は、化学的データを情報科学の手法で扱う分野である。Gasteigerは「ケモインフォマティクスは化学問題を解決するために情報学的手法を適用する学問分野」であると定義し[8]、Wishartも「化合物の分子式・構造・物性・スペクトル・生物学的活性などの化学データを集積・解析・活用する新しい情報技術領域」と説明する[9]。創薬の文脈では、化合物の構造に基づく活性予測や薬物動態(ADMET)の評価に用いられ、構造活性相関(QSAR)モデルやインシリコ毒性評価などが研究されている。たとえばXuらは、ケモインフォマティクスの応用例として「化合物選択、仮想ライブラリ生成、バーチャルスクリーニング、HTSデータの解析、インシリコADMET予測」を挙げており[10]、これらは有望な薬剤候補の探索や安全性評価に直接役立つ。 BMI・バイオ/ケモインフォマティクスとDIの貢献関係 以上の領域は、医薬品情報学に様々な形で寄与する。具体例を挙げると: バイオインフォマティクス:遺伝子・タンパク質配列や経路情報から疾患メカニズムや薬剤作用機序を解明する。病態と遺伝子変異を結び付けることで機序説明を行い、遺伝的個体差から効果予測や副作用要因を推定する[7][6]。これにより、DIでは「なぜこの薬が効くのか/効かないのか」「副作用が生じた原因は?」といった疑問に科学的根拠をもって答えることが可能になる。 ケモインフォマティクス:分子構造や物性情報から薬物–受容体相互作用や薬物–薬物相互作用をモデル化する。仮想スクリーニングにより候補化合物を絞り込み、構造修飾が活性に与える影響(SAR)を解析し、インシリコADMET予測で薬物動態・毒性プロファイルを推定する[10][9]。DIの視点では、これにより「この薬はなぜこの副作用があるのか」「併用薬との相互作用は起き得るか」といった仮説提示や、新規剤型・投与方法提案の科学的裏付けが可能になる。 バイオメディカルインフォマティクス:臨床・オミクス・文献情報を統合し、エビデンスに基づく医療判断を支援する。異なるデータソースを組み合わせた解析によって、複数の作用機序や副作用を網羅的に評価し、臨床試験結果やリアルワールドデータから得られた知見を患者個別の薬剤選択へつなげる。総じて、情報学的手法をDIに取り入れることで、従来経験則に頼っていた判断をエビデンスに裏付けられた形に高めることができる。 これらをまとめると、BMI/バイオインフォマティクス/ケモインフォマティクスは医薬品情報学に「作用機序の科学的説明」「相互作用仮説の創出」「個別化医療の裏付け」などの機能を付加するといえる。各領域の成果をDIプロセスに取り込むことで、薬剤選択や投与計画の説得力・安全性が増し、検証可能な治療提案が行えるようになる。 教育範囲の留意点 ただし、DI教育においてケモ/バイオインフォマティクスの扱いは、あくまで薬物療法支援に必要最小限の範囲にとどめるべきである。すなわち、薬学カリキュラムでは「化学構造→薬理作用」の概要や「ゲノム情報→薬効差」の概念を理解する程度で十分であり、細胞生物学や物性化学の専門的理論まで深く扱う必要はない。高度なバイオ・ケモインフォマティクスは創薬研究者や生物情報学者の専門領域であるため、薬剤師教育としては臨床的意義に直結する知識とスキルに絞り、分野を区別する必要がある。 まとめ 以上のように、医薬品情報学は単に情報を読むだけでなく、BMI的な情報統合と解析によって「情報で薬物療法を動かす」ことを目指すべきである。BMI/バイオインフォマティクス/ケモインフォマティクスの知見を医薬品情報学に組み込むことで、作用機序から薬剤選択までを科学的根拠に基づいて結び付けられる。これは薬剤師が薬物療法を総合的にマネジメントする専門性の向上につながり、個別化医療や創薬サイクルへの貢献をもたらす。したがって、DI教育・研究においてはこれら関連情報学分野との接続を意識し、その利点を最大限に活かす視点が重要である。 参考文献: Bernstam ら(2009)[3] (PMID:19683067), Bayat(2002)[5][6] (PMID:11976246), Gasteiger(2006)[8] (PMID:16177914), Wishart(2007)[9] (PMID:18428788), Xia(2017)[7] (PMID:27848897), Xu ら(2002)[10] など。 参考文献 [1] 医薬品情報学におけるEBM教育 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjphe/4/0/4_2019-031/_html/-char/ja [2] 14_132.pdf https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjdi/14/4/14_132/_pdf/-char/ja [3] What is biomedical informatics? - PMC https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2814957/ [4] バイオメディカルインフォマティクス - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9 [5] [6] Bioinformatics - PMC https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC1122955/ [7] Bioinformatics and Drug Discovery - PMC https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5421137/ ...

January 8, 2026

第13章 医薬品情報学は「情報を読む」から「情報で薬物療法を動かす」へ

従来の医薬品情報学の姿 従来の医薬品情報学(DI)では、薬剤師は主に添付文書や治療ガイドライン、一次文献の探索・読解・批判的吟味を通じて情報を得ていた。例えば処方監査や疑義照会、服薬指導などの現場では、これらの情報源を参照し、得られた知見を踏まえてアセスメントや助言を行っていた。要するに、DIは「情報を読む」ことで薬物療法を支援する役割であり、その知識体系・技能も文献検索やエビデンス評価が中心だった[[1](ACPE基準でも情報学の専門性習得が求められる)]。 情報システム化と薬剤師の新たな役割 近年、電子カルテ(EHR/EMR)の普及や処方オーダ入力システム(CPOE)、臨床意思決定支援(CDS)、リアルワールドデータ(RWD)の活用、大規模言語モデル(AI要約)など情報システム技術が急速に進展している。例えば米国では電子カルテへの臨床意思決定支援の導入が進み、2017年には90%以上の医療機関でCDSが実装されている[2]。薬剤師もEHR内の詳細な患者情報を参照し、医師やチームと連携しながら処方監査・薬歴記録・患者フォローなどを遂行するようになっている[3]。つまり、薬剤師はもはや受動的に情報を読むだけでなく、情報システム上に組み込まれたアラートや提示情報を活用して「情報で薬物療法を動かす」立場へ変化している。 電子カルテ/処方オーダシステム:投薬指示から投与・モニタリングまで、薬物療法プロセスが情報システムに連結。 臨床意思決定支援(CDS):投与エラー防止や薬物相互作用アラート、投薬計画の自動提示などに薬剤師も関与。 リアルワールドデータ(RWD):システムに蓄積される実臨床データを疫学的に解析し、現場での有効性・安全性を検証する動き。 AI要約・生成ツール:薬剤師業務の文献検索や要約作成支援に大型言語モデルが活用され始め、効率化が期待されている(ただし検証・倫理的配慮必須)[4][5]。 DI教育の課題とBMI導入の必要性 このような変化に照らすと、従来のDI教育(文献探索と吟味中心)では不十分である。実際、米国の薬学教育ではACPE基準によりインフォマティクス専門知識の習得が義務付けられており、卒業生には「情報学における専門性」の発揮が求められている[1]。しかし日本でも、システム技術を含む医学情報基盤の理解なしには、薬剤師業務は時代遅れになってしまう可能性がある。すなわち、DI教育にはBMI(バイオメディカルインフォマティクス)の基礎領域―データ・標準化・相互運用・評価・ガバナンス―を組み込む必要がある。例えば、薬剤コード・検査項目・診断名など医療情報の標準化規格や、電子カルテ間のデータ連携、CDSの効果測定指標、個人情報保護の運用なども薬剤師が知っておくべき知識である。これらが欠けると、同じ薬効情報でもシステム設計次第で実際の意思決定に差が生じるリスクが増大する。[6](注:出典は計画案より)。 ケモ・バイオインフォマティクスの統合的視点 さらに薬学的視点として、ケモインフォマティクス(薬物の分子構造とADMET特性、相互作用仮説)およびバイオインフォマティクス(遺伝子・代謝経路・分子機序など)の理解もDIには不可欠である。実例として、薬剤師は薬物相互作用のリスクを判断する際に分子構造を手がかりにすることがある。例えば、CYP3A4で代謝される薬剤同士(スタチンと抗真菌薬など)は構造上の類似点から相互作用リスクが予想される([7]も示すように、既存データベースにも漏れが多く、専門家の知識が必要)。遺伝子情報の例では、クロピドグレルはCYP2C19で活性化するプロドラッグであるが、CYP2C192など変異を持つ人では効果が著しく低下し、そのまま投与すると再梗塞リスクが上昇する[8]。こうした場合、薬剤師は検査結果を参照し、チカグレロルやプラスグレルへの切替を提案する役割を担うことができる[8]。また、抗凝固薬ワルファリン*ではVKORC1やCYP2C9の遺伝子多型がワルファリン感受性の30–50%を占めることが知られており[9][10]、変異型患者では投与量やTDMを細やかに調整する必要がある。薬剤師はこれらのケモ/バイオインフォマティクス知識を活用し、処方監査や服薬指導、患者説明に反映させることで、個別化医療を支援することが期待される。 まとめ:BMIを組み込んだ医薬品情報学へ 以上、現場事例を交えつつ述べたように、医薬品情報学は単なる情報源の読解から、情報システムを介した薬物療法のデザイン・調整へと領域を広げつつある。従来のDI教育だけではこれらの変革に対応できず、BMIの基礎やケモ/バイオインフォマティクスの視点を組み込んだ学びが必須となっている。各概念の詳細や教育実践については次章以降で深掘りするが、本章ではその必要性と大枠を示した。これからの医療環境で薬剤師が情報介入を高めるには、情報学と薬学を融合した新たなDI教育へのシフトが必要である。 参考文献 [1] Knowledge, Skills, and Resources for Pharmacy Informatics Education - PMC https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3142977/ [2] Clinical decision support systems in community pharmacies: a scoping review - PMC https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10746304/ [3] The pharmacist and the EHR - PubMed https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/27107439/ [4] [5] Artificial intelligence in clinical pharmacy—A systematic review of current scenario and future perspectives - PMC https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12553886/ [6] ブログ記事(主張型)構成案:医薬品情報学に「バイオメディカルインフォマティクス」を組み込むべき理由.docx file://file-QvSeQh3MhYqyyhEXrkEbNt [7] Toward a complete dataset of drug–drug interaction information from publicly available sources - ScienceDirect https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1532046415000738 ...

January 8, 2026